メーテルのリーディング

目を閉じて視たままをお話しています♪

愛すから愛される

こんにちは。

今日は高尾山の蛇滝を下見で車を走らせて来ました。
お稲荷様に手を合わすことが出来ないくらい何か怖さを感じたほど。

先日、みさえさんのブログで愛について語られていました。
http://blogs.yahoo.co.jp/tza_rah/15276764.html

少し、思うことがあるので、記事にしてみました。

愛することが出来ない人に神に近づけるわけが無く、本物か偽物かを見抜く力もありません。
本当の優しさも分らないはずです。それをどんな風に伝えたら良いのかと、考えていました。

兎角、人間は人に、大切にされているかどうか、好きでいてくれているかどうかを気にしています。
仮に、たいして大切にされていないし、好きでいてくれていないと感じたら、同じような
態度で接すればいいと考えてしまうのではないでしょうか。
そんな考えだから、愛することも愛されることも無いのです。

本当の愛を知れば、身を粉にして愛する人が何を望んでいるかを必死に見つけようとします。
悲しんでいたら、その悲しみをどうしたら、笑顔にさせて上げられるかと、働きかけますよね。
病で倒れていると聞けば、その人が早く治るために力を貸しますよね。
そのときに相手が自分を必要としているかどうかなんて、一つも問題になりません。

自分を必要としていようと、いまいと、愛する人が何を望んでいるか、
いかにしてそれを叶えてあげられるか、それを探すことで精一杯になります。
それが自分の喜びになり、愛する人も同じ喜びになるから、愛される結果となります。

愛することが出来ない人に愛されるわけがありません。

私は凡人ですから、いくら愛しても、冷たくされれば、涙も出ます。
愛されていないと認めることは悲しいですね。
それでも愛したい。相手の望んでいることを必死に見つけたい。そして叶えてあげたい。

これが本当の愛になるのかな?と今は感じています。

人の立場になって愛することが出来るようになると、偽りも分かり始めます。
相手の愛が偽りかどうかも見抜けてきます。

見抜く力を持つことができるのは、全て愛が始まりだと感じています。
本当の超能力かを持っている人か、もっていない人かも、
細木●子さんが正しいかどうかも、愛する人の目的は身体なのかも、
本当に愛されているのかも分るのだと思います。

私が魔物に支配されているのか、されていないのかも、愛を知っている人は
きちんと分っていると思います。