メーテルのリーディング

目を閉じて視たままをお話しています♪

老いと刺

こんにちは。

老いというテーマでいきます。

若い頃はがむしゃらに生きてきます。失敗も悩みも人生の糧になります。
経験を沢山すればするほど、因果関係を勉強しています。

人との関わりの勉強で、傷つき、また、傷つけ成長しています。

老いはその傷つけた棘を抜くときなのです。

そのときに、「あ~、あの時、あんなこと言ってしまって、今じゃ相手の気持ちが良く分かる。」
なんてこともあることでしょう。

本来の意味は自分で気づき、棘を思い起こし、反省をすることです。
嫁いびり、孫の取り合いをしても、いずれ一人の時間が多くなります。
遅い人はそのときでよいでしょう。

後悔先にたたずとも申しますが、棘を思い出しては、「すまなかった。」
と想うときなのかもしれません。

ご老体になれば、あちこち痛みがでてきます。その痛みを治すには、心が
関係する場合があります。想いの病気です。
大抵の病気の切っ掛けは、心の思い癖や、人からの想いが切っ掛けなることが大半なのです。
放置することで、癌になったり、半身不随になったりするのです。

こうして体が思うように動かなくなり、物思いに耽る時間が増えることでしょう。
そして昔を思い出しては、懐かしむ時間も増えるのかもしれません。

棘を思い起こすときがくるものです。
この棘を抜くことで、来世のとき、カルマを軽くできるそうです。
死ぬときも生まれて来てよかったと思えるのかもしれません。

刺抜き地蔵へお参りに行くご老人を見かけます。
悔いなく死ねますように、病が治りますようにというご祈願かもしれませんが、

そういう神社が存在する意味は老人達に「見なさい、これだけの人達、
後悔を背負っているのです。」ということをお伝えしているように想います。

そしてお参りに行きたくなるのは、神様が
「もう、あなたは棘を抜く時期に来ましたよ。気づきなさい。」
と教えているように思えています。