メーテルのリーディング

目を閉じて視たままをお話しています♪

本当の優しさ

こんにちは。

世界には貧困て日々生きていくのがやっとという人がいます。
そういうレポートをテレビでよく見かけます。
そのときに「子供が犠牲」になっている姿をみて「可哀相に。」
と思わぬ人は居ないことでしょう。

母が
「こうやってテレビで写している人が少しでも、お金恵んでやればいいのに。」
と怒りをあらわにしていました。
気持ちはよく分かります。母の怒りもよく分かります。

でも、そんなことしてはいけないのです。優しさはそういう事はしません。

1000円札を渡すのは簡単です。その結果幸せになりますか。
決してなりませんよ。
使ってしまえば又元通りだから?そんなんじゃありません。

それを見ていた同じような境遇の子供達も集まるでしょう。
そして何十人と集まっても同じような気持ちで1000円札を渡せますか。
渡したら又、何十人と集まります。大人たちも寄ってきますよ。

いえいえ、それでだけではありません。
もしも、一人だけに1000円札を渡して後は逃げて帰ったとします。
一人だけの子は恐らく袋たたきになっていることでしょう。そしてその1000円を奪われて
怪我をして動けなくなっているのが関の山です。

生きるか死ぬかです。
「1000円貰えてよかったね。おめでとう。もしよかったら少し分けてくれる?」
なんてことありえないですよね。

1000円札を上げたほうは、よいことをしたと自己満足していることでしょう。
あの子はきっと喜んでいるに違いないと・・・・。

それが優しさの結果になるのです。見せ掛けの優しさというのがこういう事を言うのでは
ないでしょうか。

本当に救うことが出来ないのに、可愛そうだからの気持ちでほんの少しの愛や
気持ちを上げようとする人・・・・。

はっきり言えば、自己満足だと思えています。
自分が優しい人間だと思いたい、思われたい結果の行動です。たった1000円で優しい人
と思われることへの満足で、後の残された当事者の配慮なんてまったく無いでしょう。

本当の優しさはぐっと辛さをこらえるという事があるのです。
「男は負けると分かっていても戦わなければならないときがある。」
といった石原知事を思い出します。

非難されようが、みっともなかろうが、救え切れないと悟り、すまないとその場を去ることも
優しさなのではないでしょうか。自分の力不足を非難し、相手の辛さも理解することで、
形にはならないけど、優しさが成立しているように思います。

けっして見てみぬ振りしろと言っているのではありません。
他に助ける方法を見つけてほしいといいたかっただけです。
一時の感情で優しさをアピールするのではなく、ちんとした寄付金の機関に寄付をしてもいいし、
助ける方法を考えて活動すればいい事だと思います。

神様はこの子達に何を教えているのかと考えることがあります。
皆さんはどうお感じなりますでしょうか。

この続きに化け猫のお話をします。捨て猫の話です。ご本人の了解を得ています。