メーテルのリーディング

目を閉じて視たままをお話しています♪

認識論

こんにちは。

昨日、凄く楽しい話しになったので少しお話します。

精神世界が好きな人と久々にお話したのです。
いや、実に面白い。

私のチャクラ認識の話の時でした。私は一般と違った認識をしていて、その説明をしていたのです。
受け売りじゃなくて、実際にリーディングして視たチャクラは
「こう」でしたの話しをしていた後です。

「物理的なデーターでも実験する人によって微妙に結果が違うといわれているんです。
その人の性格や概念で実際の結果に変化があるといわれているんですよ」

「物理の実験でですか」と質問するわたし。

「そうなんですよ。捉え方が違うのかもしれませんが、全く同じ実験をしていても、
同じデーターが出て良さそうなのに、微妙に違うらしいのです。
ですから、精神世界なんか余計人によって違うのは仕方ないですよ。
視えない世界ですから、そう視えたと言っても誰も間違いだといえないですよね。
否定するだけのものがないのに、否定をしてもいけないと思います。」

「うむうむ、確かに、認識という問題になると個人のその人がこうであると概念をつくりあげれば、
それが真実になりますね。認識論の世界の話になってしまう。
目の前のこの赤い立方体という認識も本当に真実なのかという問題と同じだわ。
はたしてこの赤と思っている概念は目の前の貴方も同じに見えているのかという世界ですね。
同じ赤と認識するのにしても微妙に違いますからね。その視覚神経は全ての人と全く同じかといったら、
言い切れない。疑うのも、真実だと思うのも自分ですからね・・・」

他の人のブログでも哲学的に考えると話をされていた方がいらっしゃいました。
昨日はそんな話しに縁がある。

「そうです。精神世界は言い切ってしまうと、周りに叩かれます。
そう視える、そう感じるにとどめたほうが無難なんです。」

こういう話になってくると、精神世界がよく見えてくる。
誰が間違っていると言い切れない以上、誰が正しいとも言い切きれない。

科学は演繹法で導く事ができる。では、論理的に無矛盾になったからと言って、
100%正しいと言い切れるのか?
となれば、突き詰めれば0.0000001(無限に微小)という微妙に違いが出てきて当たり前
なんですといいたいらいしい。

幽霊も複数の人が同時に視ている場合もあります。
よくブログでお見掛けするRinkaさんも私とよく似たビジョンが見えるらしいので、
同じ、同じと共鳴します。
視えない世界が否定できない理由です。こんな事ぐらいしか実証出来ない世界です。

私の超常現象の認識論。
愛が分からなければ視えない、感じる事が出来ないと思えています。
それは何故か。

視えるものは微粒子のようで、2次元、3次元のように線でかけないし、
同じ立体でも抵抗が無い世界なんです。
微粒子が立体を作っていて、触ろうと手を伸ばせば 形が崩れ、触る事ができない
という位、繊細で頼りないものだからです。

だから、幽霊は壁を通り抜けられる、突然形が作れると私なんかとても理解しやすいのですが、
普通の方は辻褄すら合わないのかもしれません。

その繊細なものを感知できるのは、こちら側が繊細でなければならないでしょう。
同調という意味です。

繊細になるには、その微粒子の立場にたって視てあげないとなりません。
ようするに、人の立場にたってものをものごとを認識しようとしない人は
その微粒子は視えないでしょう?

平たく言えば、相手の立場になって心を認識できないような人が
心のように形がはっきり視えない、繊細な微粒子を認識するのが難しいからです。
心を認識するのは、愛です。

愛を知るには、自分より愛する人が出来ないと・・・

生まれながら視える人は生まれながらに繊細なんですね。羨ましい(^^)

私は人に貴方は能力者なのにと言う事があります。
大抵否定します。
視えるものなら今すぐ出てきてみろと言われます。
でも、視えたら怖いから、視ないようにしているのも私には分かる(^^)
本人には言わないですけどね♪