私にしか視えない?
こんにちは。
私のオーラを視るかのようにして、天使を見るとおっしゃる。
もっとも、その方は私がリーディングすることもご存知でないです。
そして
「天使が居ない人は居ない」とおっしゃる。
「居ました?私と同じのが視えるといいなぁ」と言った一言が気にいらなかったらしい。
「同じものが見えるとは限らないし、私にしか視えないから」
と叱られたように言われてしまいました。
「そういうものですかね?」と私。
「あのね。あなた前世魔女よ。人の話を疑って、いつも嘘じゃないかと怪しんでいる」
「あら、私魔女だったんですか、あれ?で、天使は?」と私。
「居るわよ。でも、誰だかはわからないけど。独り後ろに居ますよ」
そして同時に私も自然とその人を視ていたんでしょうね。魔女の様な顔して(^^;;
目を開いて見えないものを視るという行為ですが、恐らく脳裏で見ているんだと思います。
だから、そういう人の話はキチンと脳裏で視ていますといった具体的な見え方を教えてくれます。
脳裏で私も視ますからどういう気持ちで仰っているのかがよくわかります。
そうなんですよ。脳裏なんです・・・(^^;;;;;;;
目を閉じているときは、前頭葉のおでこがスクリーンです。
それ以外の説明がないとき、どうして私にしか視えないと言い切ることができるのかと
不思議に思えてしまうのです。
というのも、例えばですが、私のように目を閉じなければ視えないというのであれば、
私の世界ですから、他人に視えるわけがなく、私にしか視えないというのも解るんですが、
目を開いて私を視ていながら私の周りを探るように見て、恐らく天使を探しているのでしょう。
自分しか視えないと言い切るんでしょうか?そこに嘘だから?と勘ぐってしまうんです。
もし、私が目を開いて天使がみえるのなら、ほら、あそこに白い服来た大きな翼をつけた人が
居ます。視えるでしょう?ほら?あそこにって共有できることを期待しないですかね?
指差して伝えても他の人には視えないのかと実験をしてから、最後の最後に決定づけないですか?
もしかして、今日の人は一緒に視えるかもしれないと思えばこそ毎回、視えた事を確認したいと
私なら思いますけどね。
だから、こうしてブログで視える人いないですか?と呼びかけたくなるんです。
なのに、自分しか視えないということに・・・私はその言葉を言う人が本当に視えているのかと
疑いたくなるんです。
私のオーラを視るかのようにして、天使を見るとおっしゃる。
もっとも、その方は私がリーディングすることもご存知でないです。
そして
「天使が居ない人は居ない」とおっしゃる。
「居ました?私と同じのが視えるといいなぁ」と言った一言が気にいらなかったらしい。
「同じものが見えるとは限らないし、私にしか視えないから」
と叱られたように言われてしまいました。
「そういうものですかね?」と私。
「あのね。あなた前世魔女よ。人の話を疑って、いつも嘘じゃないかと怪しんでいる」
「あら、私魔女だったんですか、あれ?で、天使は?」と私。
「居るわよ。でも、誰だかはわからないけど。独り後ろに居ますよ」
そして同時に私も自然とその人を視ていたんでしょうね。魔女の様な顔して(^^;;
目を開いて見えないものを視るという行為ですが、恐らく脳裏で見ているんだと思います。
だから、そういう人の話はキチンと脳裏で視ていますといった具体的な見え方を教えてくれます。
脳裏で私も視ますからどういう気持ちで仰っているのかがよくわかります。
そうなんですよ。脳裏なんです・・・(^^;;;;;;;
目を閉じているときは、前頭葉のおでこがスクリーンです。
それ以外の説明がないとき、どうして私にしか視えないと言い切ることができるのかと
不思議に思えてしまうのです。
というのも、例えばですが、私のように目を閉じなければ視えないというのであれば、
私の世界ですから、他人に視えるわけがなく、私にしか視えないというのも解るんですが、
目を開いて私を視ていながら私の周りを探るように見て、恐らく天使を探しているのでしょう。
自分しか視えないと言い切るんでしょうか?そこに嘘だから?と勘ぐってしまうんです。
もし、私が目を開いて天使がみえるのなら、ほら、あそこに白い服来た大きな翼をつけた人が
居ます。視えるでしょう?ほら?あそこにって共有できることを期待しないですかね?
指差して伝えても他の人には視えないのかと実験をしてから、最後の最後に決定づけないですか?
もしかして、今日の人は一緒に視えるかもしれないと思えばこそ毎回、視えた事を確認したいと
私なら思いますけどね。
だから、こうしてブログで視える人いないですか?と呼びかけたくなるんです。
なのに、自分しか視えないということに・・・私はその言葉を言う人が本当に視えているのかと
疑いたくなるんです。